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本堂(八十坪、間口十間、奥行八間)

本堂

平成八年四月七日に山門(四坪、間口二間、奥行二間)、客殿(三十六坪)の竣工と伴い、(総費用、五億四阡九百七拾五万九千八百参円)落慶法要を厳修させて頂きました。
ここに念願の本堂、山門、客殿、境内整備等を竣工させることが出来ました。


本尊さま(薬師瑠璃光如来)


青苔寺のご本尊さまは「薬師瑠璃光如来」さまです。 境内地の灯篭や石塔に定朝作薬師如来と誌されていますが、現存の御本尊様は古いものですが別物です。
「甲斐国志」「甲斐国社記・寺記」「北都留郡誌」によれば、ご本尊さまは阿弥陀如来になっています。現存するご本尊、「薬師瑠璃光如来さま」は落雷による火災焼失後に、寄進或いは、どこからか、持ってこられたものと推測されます。
薬師瑠璃光如来さまの脇侍(きょうじ)は左に日光菩薩、右に月光菩薩、その回りに十二神将「宮毘羅(くびら)、伐祈羅(ばさら)、迷企羅(めきら)、安底羅(あんてら)、額爾羅(あんにら)、珊底羅(さんてら)、因陀羅(いんだら)、波夷羅(はいら)、摩虎羅(まにら)、真達羅(しんだら)、招杜羅(しゃとら)、比羯羅(ぴから)が位置し、如来さま、脇侍を取り囲んでいます。
襖絵8面 『浄鏡四時山水図・・・作(1988年)行近壯人』
襖絵8面『浄鏡四時山水図
日本画家、行近壯人先生のお心を込めて書かれた襖絵が奉納されました。
東京国際美術館で開かれた先生の古典にも出品され、多くの方々が見学に訪れるようになりました。先生のこの大作を大切に守っていきたいと思います。
(絵の拡大写真、作家のコメントはこちら)

開山さま(法光圓融禅師)

開山さまのことは落雷による火災での焼失、また永年の無住により、一切御座いませんが、開山さまのことは、数多くのお寺をお建てになっておりますので、開山さまの「行禄」(あんろく)などで知ることが出来ます。その行禄の中からいくつかを記し、どのような方であったのかを、皆様とともに考えて見たいと存じます。

開山禅師さまは、「諱」を「令山」といい、「号」を「峻翁」と申しました。康永三年(1344)7月17日、牛の刻に埼玉県秩父でお生まれになりました。幼少の頃、こんな話が伝えられています。5歳の時の事、隣の家の老婆が、ある晩のこと、この「峻翁」さまのたもとに明珠の納まる夢を見ました。驚いた老婆は明くる朝やってきて、この不思議な夢の話を、禅師さまの母に申し上げました。明珠は仏性、真如の象徴であります。母はこの奇妙な話を聞くと感慨深げに、「では、この子は将来きっと、仏法の明珠を手に入れ、世の人々に施すような人になってくれるに違いありません。」と云われたという事であります。この逸話の他に、幼少の頃のことは、知ることは出来ませんが、幼い頃から俗世のことを厭い、いつも仏門に入ることを求めていたと「本朝高僧伝」に記されています。

やがて14歳の頃、親元を離れて、秩父に郷に名の聞こえた、「了機道人」という人を訪ね、師事することになりました。こうして水を汲み、薪を拾い、師のために給侍する山居修行の生活が始まりました。円分四年(1359)、16歳になられた禅師は、「了機道人」ににつれられて比叡山延暦寺に登り、正式に出家得度されました。康安元年(1361)、18歳になられた禅師は叡山を出られ、上野の長楽寺というお寺にいかれます。応安元年(1368)、25歳になられた禅師は、長楽寺を出られて、中国へ渡ろうと旅に出ますが、現在の神奈川県津久井町煤ヶ谷というところに、「抜隊得勝」という和尚さまがおられることを耳にして、さっそく「抜隊得勝」という和尚を訪ねることになりました。中国に渡り、真の師を求めようと、故郷を後にしたばかりの禅師は、ここで生涯の師となる「抜隊得勝」和尚に出会ったのです。

青苔寺から桂川を望む禅師さまは、抜隊和尚さまのところで、日夜おくことなく修行に専念され、ついに26歳のときに、座禅をされていた禅師さまは、はからずとも居眠りをしてしまい、ハッとして起きようとした、その時、一切の思慮分別を絶して、肉身と精神の束縛から完全に脱却し、真空現前すること忽然として悟られた、と伝えられています。師、「抜隊得勝」禅師さまは、世寿61歳に向嶽寺で寂されましたが、康応元年(1389)、7月30日、「抜隊得勝」禅師の遺命もあり、峻翁禅師さまは、向嶽寺に住することになりました。その後、22年間に渡り、5度に渡り向嶽寺に進住され、その傍ら幾多の寺院を開創されました。その一つに、青苔寺も含まれています。応永十五年五月六日に示寂されますが、向嶽寺より八王子広園寺に帰られる途中、青苔寺で示寂されたとの伝承があり、開山塔も現存しています。

応永二十六年四月八日に、法光圓融禅師の禅師号が下賜されました。開山さまの大事業として、「無門関」という禅の語録を日本で初めて開版されましたが、残念なことに、その版木は現在残っていません。以後歴代和尚さま方の秀れた用らきと檀信徒各家御先祖さま方の並々ならぬ護持心とによって、今日まで法灯が受け継がれて参りました。
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