彫刻家の北村西望先生がご健康の折、
「己を拝む」と揮毫を御願いしました。
先生は当時102歳というご高齢でありながらも、気の充実した澄んだ素晴らしい書です。
この「己を拝む」という言葉も私の経典であります。
私共は凡夫であるがゆえに、四六時中「無明」の最中に生きておりますと、常に叱咤するものが無くては生きられません。無明とは、仏教で悟りや真理とは程遠い状態のことです。
それが無くては、日々大地にしっかりと足をつけて生きることができないからです。
自分の行動というものの中には、あまりにも自分自身が気づかないこと、わからないことが多すぎます。一日が終わり、「ああ、今日も一日無事に生かさせていただいた。」と一日を振り返り、「自分の今日の行いはこれでよかったのであろうか?。」と反省し、それを確認しながら、自分自身に「有難う。」と手を合わせられるような生きかたがしたいという願いを込めたこの言葉を、私の一つの経典としているのです。