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「もうひとつの経典」

山岡鉄舟居士の弟子であられた小倉鉄樹翁は、「おれの師匠」という著書の中で、「鉄舟という人は、その傍にいるだけで自分の不安が消え、大舟に乗ったような安心した気持ちになった」と語っておられる。恩師大森曹玄老師は「私の一番尊敬している人は頭山立助さんだ」と、よくお話されておられました。老師は誠実なお方でしたから、その話はいつも涙を浮かべておられた。頭山立助さんは東アジア主義で知られる頭山満翁のお子さんで、十年も結核で床に臥した生活をされた方だそうですが、曹玄老師はその立助さんとの出会いからを目に見えるようにお話して頂きました。その中で最も印象に残るのは、見舞いに来られた方の誰もがいつも異口同音に、「見舞いに行ったのだけれど見舞われたよ!」と言われていたといいます。

立助さんが十年もの永い間床に臥されていたのは、上海の同文書院におられた頃、同室の学友が肺結核で病んでおり、血痰を吐きながら、「もう自分は駄目だ。生きられそうもない。」と悲痛な日々を送っていたそうです。

ところが、立助さんは非常に言葉の少ない方で、いわゆるなぐさめの言葉などは通じないと考えられたのでしょうか、同室の学友の吐いた血痰を手ですくい上げ、口に入れながら「私が飲んでも平気なのだから、大丈夫だよ」とにこにこしておられたとの事です。

このような、とてつもないやり方でなぐさめをするなど考えられない事です。全てにおいてこのように自分が相手の立場になり、言葉をかけ行動されたといわれています。亡くなられた原因は、歯医者に往診して頂き抜歯された後の出血が止まらず、医師も処置法が無く、枕もとでオロオロするばかりだったそうですが、立助さんはその様子を見て「先生、血が出ているのは私だよ!先生がどうして落ち着かないのだ」と平然としておられたといいます。

この立助さんこそ身体全体で経典を読破しておられた方のように思います。


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